ドイツのピアノ教育見聞録

ピアノのレッスンを通して覗いたドイツ事情と試行錯誤の日々の記録。

止める理由、続ける理由

昨日は15歳になるJちゃんがレッスンにやって来た。

彼女は小学校3年生の時からピアノを始め、現在はギムナジウムに通う9年生、来年度からは高校生になる年齢だ。

現在のところ、ドイツのギムナジウムは8年制であり、週に3回ほど午後も学校の授業がある。

上級生になると当然もっと学校の勉強が忙しくなるのだという。

そういう理由で、Jちゃんは来年度からはピアノのレッスンには来れなくなるかもしれないと言い出した。

実は彼女がこういう言い訳をするのは今回が初めてではない。

ギムナジウムに入学して以来、学校を理由にいつも練習する時間がないと言い訳し、あの手この手でピアノを止めようとしてきたのだ。

しかしその度に彼女のお母さんの強い反対に遭い、なんとか続けてきたという経緯がある。

それでも彼女はやればできるタイプなので、ここ2年ほどはお気に入りのポップな曲も弾けるようになってきたところだった。

ゆっくりだけれど確実に進歩してきたのだ。

そのような状況を踏まえて私は彼女に聞いてみた。

「今週は何回くらい練習できたの?」

「えーと、昨日の夜30分、それだけ。」

「そうなんだ、でも先週やったところもちゃんと出来てたし、それどころか今日はここまでできたじゃない、すごいなぁ!」

「でももう本当に練習できなくなるかもしれないの。」

「たった週に一回練習しただけだよね?

それで勉強する時間がなくなったとは言えないんじゃない?

ピアノ辞めたからってあなたの勉強時間はほとんど変わらないよ?

だったらレッスンに来て気分転換した方がいいんじゃない?

だってあなたは練習しなくても上手になっていってるよね!?」

Jちゃん、一瞬の沈黙の後、

「確かにそうかもしれない。」

今回も彼女の発作は収まった。

新コンサートシリーズ

2019年の初演奏会は、ドビュッシーとシューマンで始まった。

文化予算が削減されていく中でも、音楽芸術を大切にするべきだという考えはドイツでは揺らがない。

2018年10月から、この街で新たなクラシックコンサートシリーズが始まった。

隔週土曜日の午後、街の歴史博物館内で、無料のクラシックコンサートが楽しめる、ミュージアムコンサートシリーズだ。

昨年10月の「迫害された音楽」というテーマの演奏会も、このコンサートシリーズ枠内での催し物だ。

演奏前にプログラムの内容に関連した街の歴史が簡単に紹介され、なかなか興味深いものがある。

今回またピアノ連弾で、プログラムはドビュッシーの「六つの古代碑銘」全六曲と、シューマンの「東洋の絵op. 66」全六曲だ。

ドビュッシーのこの作品は昨年12月の演奏会で弾いたばかりだが、このミュージアムコンサートシリーズのコンセプトにぴったりなので再上演即決定。

ドビュッシーはある詩集にインスピレーションを受けてこの作品を作曲した。

他にはどうしようかと考えた末、シューマンの「東洋の絵」に決まった。

館内にはたくさんの絵画も展示されているからだ。

ちなみにこの作品も、シューマンが当時出版されたばかりの中近東の詩人によるドイツ語翻訳詩集にインスピレーションを受けて作曲されていて、「東洋」といっても残念ながら東アジアではないのがちょっぴり残念だ。

とはいうものの、中近東のオリエンタルな雰囲気のメロディが出てくるのかと思いきや、作品は一貫してドイツそのもの。

シューマンは、異国の詩を読んでもそれをしっかり自分の芸術に昇華させることが出来たんだなぁ。

ところでドビュッシーだが、咋12月のコンサート会場ではスタインウェイ、今回はベヒシュタインで演奏した。

楽器によって表情がとても変わる。

貴重な体験だ。

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個人主義の良いところ

冬休みが終わった。

今日からまた仕事だ。

午前中は大学に出勤、午後からは音楽学校でレッスンだ。

大学生は当たり前だが手がかからない。

ブログのネタにはなってくれない(笑)。

彼らは今月末の発表会に向けて、きちんと練習している。

ドイツ人の大学生は、所謂高校を卒業して一年、大学入学前に、社会勉強のような形で実習と称される仕事を経験することが多い。

その為、大学で勉強する目的あるいは意義が非常にはっきりしていて、大人だなぁと感心させられる。

あ、もしかして、私がそうでなかっただけかも💦?

ギムナジウム卒業試験であると同時に大学入学資格でもあるアビトゥアAbiturの良いところは、アビトゥアを持っている限り、何歳になろうといつでも大学に入学できるというところにある。

一度取得すれば一生有効なのだ。

定年退職した後の楽しみに大学に通う人たちもいるくらいだ。

一度社会経験を積んでみてじっくり考えてから自分の将来に見合った学部を選択することは、非常に理にかなっている。

なんて羨ましいシステムだと私は思っている。

人は人、自分は自分という個人主義のなせる技なのかもしれないが、桜が咲くのが18の春である必要なんて別にない、長い人生いろんな選択肢があって良いと思う。

良い伴奏とは?

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。


2019年はどんな年になるのかな、とのんびりお正月三が日を過ごそうと思っていたのだけれど、今年も騒がしくなること間違いなし。

それは一月二日、昔の生徒Nからの連絡で始まった。

一月後に迫ったJugendMusiziert ドイツ青少年音楽コンクール地区予選のバイオリンソロ部門に参加予定のNは、伴奏者を緊急に探しているのだという。

今頃どうしてと聞くと、予定していたピアニストにキャンセルされたというのだ。

そこで私が彼女の伴奏を出来ないかと、切羽詰まって聞いてきたというわけだ。

Nは将来プロを目指すバイオリニストで、現在はミュンヘン音楽大学のJungstudent 特待生であり、JugendMusiziert Bundeswettbewerb ドイツ青少年音楽コンクール全国大会の毎年の常連だ。

二年前まではNは私のピアノの生徒だったので、お互い気心も知れている。

彼女はちょうど三年前、私が伴奏した全国大会ソロ部門で惜しくも2位、翌年の全国大会デュオアンサンブル部門では堂々の一位に輝いた実力者だ。

ふーん、あなたにもそんなアクシデントが起こるのねぇと、新年の挨拶もそこそこにどうしたことかと知恵を絞る。

結論として、私がピンチヒッターとして彼女の伴奏をすることは難しい。

結局リハーサルするための予定が全く合わないのだ。

彼女は今年Abiturアビトゥアを控え、しかも週末にはミュンヘン音楽大学に通っている。

しかも気分転換のフィギュアスケートの予定もある。

ドイツ人の高校生は予定がぎっしり詰まっている。

この状況でもそれ全部やるの?と呆れ返る私だが、私も既に地区予選で二人のバイオリンの生徒を伴奏する予定が決まっているので、時間の余裕はない。

Nには他の信頼できるピアニストの連絡先を教えてあげた。

彼女はきっとなんとかするだろう。


ところで、毎年地区予選前になると、必ず伴奏者が見つからないという騒ぎを聞く。

キャンセルされたとか、今まで探していなかったとか色々だ。

伴奏、特に子供の伴奏は決して簡単ではないのだが、世の中の大半の人は、伴奏なんてすぐできると思っているようだ。

侮ってもらっては困る。

良い伴奏者は、子供の演奏をさらに美しく聞かせるだけでなく、子供の弱点をカバーして演奏中の子供に安心感を与え、音楽的インスピレーションを授けて次の発達段階に子供を誘導していくことができる。

しかしそれは、経験を積んだ伴奏者でも神経を使う仕事なのだ。

コンクール地区予選を聴いていて、いかに良い伴奏者が少ないか、音楽の本場ドイツでも、田舎ではいろんなことがまかり通っているのを感じさせられたりもする。

素晴らしい才能の片鱗を持つ生徒の伴奏が、足を引っ張っているとしか思えないこともあった。

少なくとも地区予選に参加する子供たちは、できれば次の州予選に進むことを目標にしている。

そんな時、子供の実力は甲乙付けがたくても、良い伴奏者に恵まれた場合には高得点を貰える確率が非常に高い。

音楽はソロも伴奏もまとめて音楽だからだ。


今日は初仕事、コンクール参加者バイオリニストJちゃんとの初リハーサルだ。

初めての割には手応え十分、順調な滑り出しだったと言える。

これから本番まで、週に一回のペースでリハーサルの予定を組んだ。

ところで、今日のリハーサルはまだ冬休み中の音楽学校で行ったのだけれど、行ってみて驚いた。

あちこちの部屋から音がする。

コンクール参加者はみんなレッスンに来ているようだ。

ちなみに、ドイツの普通の企業では、休日出勤なんてあり得ないらしいのに。

クイーン

遅まきながら、「ボヘミアンラプソディー」を観た。

フレディマーキュリーって今更だけどスゴイ。

もう少し早くに薬が開発されていたら!

私が初めてクイーンを認識したのは中学生の頃、3つ年上の姉が「クイーン」とか、「ボヘミアンラプソディー」とか言っていたのを記憶している。

その当時の私はひたすらにアバを聞いていて、しかもそのままリッチーブラックモアのレインボーにのめり込んでいったので(多少の紆余曲折はあったけれど)、残念ながら生前のフレディマーキュリーを意識して聴くことはなかった。

でも、クイーンは常にトップチャートの番組で紹介されていたなぁ。

しかし考えてみればあの当時、インターネットのない時代、外国のアーティストの情報は、レコードか、あるいは本屋で立ち読みする洋楽専門の雑誌くらい。

彼らはみんな遠い世界の人々だった…。

今はネットで検索すれば、当時の情報も何でも手に入る。

レインボーのライブインジャパンを発見した時の喜びったら😍❗️

つくづく思うことは、当時のアーティストたちは本当にすごかったんだなということ。

最近こんな人達いるかしらと疑問に思う。

フレディマーキュリーのパフォーマンスには、確固たるメッセージがある。

そのメッセージは未だに若い人たちにも強烈に伝わるのだろう。

だからこの映画は世界中でロングラン大ヒットしてるんだろうな。

クラシックでもロックでも、同じ原理だ。


ブログを実験的に始めて3ヶ月、マイペースすぎる投稿にもかかわらず読んで下さった皆様、ありがとうございます。

ブログ運営に関してまだまだわからないことが多いので、ぼちぼちの更新はあまり変わらないかもしれませんが、来年も続けていこうと思っています。

それでは皆様、良いお年をお迎えくださいませ!



仕事納め

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発表会も無事終了した!

収容人数100名ほどのホールで、小一時間のプログラムだ。

ホールの壁には普段から、壁いっぱいの大きさの聖母子像画が掛かり、おまけに水色の棚にはKrippeキリスト降誕劇の場面を模した人形が待降節の期間中、特別展示されている。

クリスマスの駄目押しだ。

直前のリハーサルのために、私は1時間早めに待機した。

リハーサルは参加自由。

ホールに到着した順に、軽くグランドピアノの鍵盤の感触を確かめる。

プログラムは私の手作りで、日本のようなお花の飾り付けもなければ、記念品もない。

写真も各自で撮ってもらう。

一回の発表会について生徒の保護者にかかる特別費用はゼロだ。

会場代は市の負担だが、市立博物館内のホールなので、開館時間内に終了すればただということになる。

生徒達は、ほぼ普段着で登場する。

小学生の女の子たちが少しおしゃれしている程度だ。

日本の発表会に比べると、とても簡単なのだろう。

昔、私が子供の頃に経験した発表会は、もっと大変だったような気がする。

確か、発表会の予行演習にわざわざ1日かけて先生のお宅にお邪魔した記憶がある。

次回は7月の予定だ。

さてめでたく仕事納めだ!

食料も買い込んで、これから12月26日まで買い物できなくても困らない。

12月24日は半日だけお店は開いているが、スーパーに行っても売り切れ状態で、必要なものは何も手に入らないのがドイツのクリスマス直前お買い物事情だ。

日曜日は当然お店は休みだ。

やったー、今年は間に合った!

 

ドイツ手作りライフ 其の三

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クリスマス4週間前は、Advent待降節と呼ばれる。

ドイツでの師走にあたる時期だ。

クリスマスを迎える準備が始まり、とにかく全てが慌ただしい。

そんな中、ドイツ人は家庭でのお菓子作りに余念がない。

Plätzchen プレツヒェンと呼ばれる焼き菓子、簡単に言えばクッキーなのだけれど、この待降節の時期に焼かれるものは伝統的に種類が決まっているらしく、クッキーの直訳語のKekseケクセとは呼ばれないらしい。

調べてみると、日本語に訳すと「クリスマス焼き菓子」の一種がプレツヒェンだ。

あとは、最近日本でも食べられるシュトレン。

英語のジンジャーブレッドは、ドイツ語ではレープクーヘンLebkuchen、これもクリスマス焼き菓子だそう。

日本のおせち料理のように、各家庭に自慢のレシピがあり、ちょっとしたプレゼントに手作りのプレツヒェンというのがこの時期の定番だ。

ドイツ人は、手作りが大好きだ。

人気のケーキ屋さんのお菓子より、手作りのものを重宝がる。

私もクリスマスプレゼントに、生徒達から手作りプレツヒェンを頂いた。

作るのは女性だけではないところがすごい。写真手前右は、25歳の男性作。

「いつからどんだけ作ってんの?」

プレツヒェンは既製品ももちろん売っている。

昔は既製品の方が好きだったのに、しかし何故か今は手作りの方が味わいがあり、美味しいと感じるようになってきた。

滞独年月と関係あるのかな?

ところで、しかし翻訳って難しい。

クリスマス焼き菓子って、昔ディッケンズの子供向けに編集された小説に訳注として書いてあったかも。

当時は未知のモノであった。

前記事で私は「クリスマスソング」と書いていたものも、「クリスマスキャロル」と書くべきだったのかなー?

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